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大根の奉書巻き

1999年11月30日
大根の奉書巻き


昔の家の台所は寒かったですよね。一番北の端に位置することが多かったのではありませんか?

現在のキッチンが、明るくて開かれているのに比べると、舞台裏のイメージが強く、閉ざされた場所、秘する場所だったような記憶があります。ボクの実家もそうでした。床は板張り。もちろん床暖房などない時代。それどころか、台所には一切暖房器具などありませんでした。本当に寒かったなぁ。

しかし、毎年この時期になると母は、この台所にこもって“お節”作りに追われていました。お正月用の“お節”は、今でこそ買う物、あるいはホテルや有名料亭から届けてもらうものになってしまいましたが、かつては家で用意するのが当たり前でした。

そんな時代、母はまさに孤軍奮闘するかのように家族分だけではなく、正月三ケ日に訪ねてくるだろう親戚やお客たちの分まで一人で用意をしていました。(そう言えば、祖母はその時何をしていたのだろう?あまり台所に立っていた記憶がない。子どものボクには分からない何かがあったのだろうか?祖母はもちろん母も亡くなった今となれば、その理由など、それこそ台所の隅の闇の中である)


そんな中、子どものボクの唯一の使命が「大根の奉書巻き」作りでした。薄くスライスされた大根を奉書に見立て、そこに細くカットされた柚子や生姜を入れて、クルクル丸めて昆布で結ぶ。それを何個も何個も作るのが、まだ幼かったボクと4つ年上の姉の仕事でした。生姜は地味で、一方黄色い柚子は白い大根によく映えていたことから、ボクは、せっせと柚子ばかりを巻いて「生姜も巻きなさい」と叱られた記憶があります。


けれども一番の記憶は、台所の寒さでした。片方の足の裏を、もう片方の足の脛に擦り付けて、その冷たさを誤魔化していました。しかし、そんな中でも、母は腕まくりをせんばかりで、働いていたなぁ。栗きんとんに、昆布巻き、叩きごぼうに、黒豆、お煮しめ、田作り、卵焼き、海老の有頭焼きエトセトラ、エトセトラ。母は本当に凄かった。

さて、奉書巻きの「奉書」とは、平たく言えば「命令書」のこと。大根の奉書を開けば、そこには「母を大事にしろ」とあったに違いありません。今さら遅いか。
(By エッセイシスト・KUNI61)
更新日: 2016-02-02 09:21:31