祖父の合成酒

1999年11月30日
「合成酒」をご存知でしょうか?今でも料理酒として出回っているので、「あぁ、あれね」とご存知の方も多いと思います。コメを使わずにアルコール、糖類、調味料を加えて清酒のような風味にしたものです。これを明治生まれの祖父は好んで飲んでいました。

昭和の時代のこと。当時の合成酒は、ベタッとした甘さがあり、また嫌なアルコール臭もあって、二日酔いになりやすい酒とも言われていました。言わば「安かろう、不味かろう」の代名詞のようなお酒だったようです。

どうして、そんなお酒を祖父は好んで飲んだのでしょうか?貧しかったから?いえ、自分で言うのも何ですが、ボクの幼かった頃、我が家が貧しかったと言う記憶はありません。ちゃんとテレビもあったし、途中でそれもちゃんとカラーテレビになっていました。しかし、祖父は、相変わらず合成酒を飲んでいたのです。自らへの戒めだったのでしょうか?


祖父は、太平洋戦争にはゼロ戦の材料の研究をしていたそうです。そのせいなのか、終戦後はなかなか真っ当な職に就けなかったと言います。一時家計は困窮していたのかもしれません。それだけでなく、第一次大戦や、日露戦争なども経験してきた人生。贅沢は敵だと言う考え方が染みついていたのかもしれません。

でも、本当は、ケチだったからと思います。アルコールなら、何でも良かったに違いありません。この季節になれば思い出します。食後のデザートとして時折柿が食卓に並べられました。しかし、祖父は、それに手を伸ばそうとは決してしなかったからです。「何故?」と訊くと、祖父は「柿を食べると、アルコールが小便として出てしまうからだ」と、強い口調で“解説”をしてくれました。


いやはや、何ともまぁ。祖父はとりあえず体内にアルコールを溜めておきさえすれば良かったのです。確か、そう言えば、酒が過ぎ大トラとなった祖父に、「これでも出しておきなさい」と言う祖母のアドバイスに従って母が出した熱燗は、水で薄めた合成酒。それでも祖父は美味そうに飲んでいたことを思い出しました。祖父にとっては、家族一緒にこうして食事が出来る、お酒が飲めると言うことが一番のご馳走だったに違いありません。

同じく父も、お酒は好きだったものの、銘柄はもちろん、お酒の種類にもこだわらなかったなぁ。ただ、アルコールさえ入っていれば良かったタイプ。そして、家族と飲んでいると必ずこう言うのでした。「最高やなぁ」と。結局、祖父も父も、安いお酒で十分だったのでしょう。何を飲んでも、熱くても冷たくても、家族といれば、格別の「人肌」だったに違いありません。


(By エッセイシスト・KUNI61)

更新日: 2015-12-01 09:40:02