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巨大なぼた餅

1999年11月30日
母の一周忌も滞りなく終わりました。合わせて納骨も済ませ、これで一区切り。
先に逝った父と、天国で仲良くしているかな?最期の時間を家族みんなで割とゆっくり過ごせたことから、亡くなった後も穏やかな心持ちで過ごせていますが、やはり時折母が得意だった料理を思い出すことがあります。

しかし、母の得意料理だと言って、自慢できるものは・・・無いなぁ。
唯一ハイカラな料理は「スパニッシュオムレツ」。これは、よく作ってくれました。多分、意外と簡単だったんじゃないかな。毎回、フライパンのその大きさのままお皿に盛りつけられ、ケーキのように切って食べていました。

しかし、ケーキのようにフワフワと言った感じには乏しく、どちらかと言えばしっかり固く、中の具材のジャガイモもゴツゴツしていたことから、何だか「堅牢」なイメージのある料理でした。味は?え〜〜〜っと、ケチャップの味しか覚えていません。いやはや。

それから、母の得意な料理と言えば、カレー。ただ、決してトロ〜リとしているのではなく、シャブシャブ。言わば「カレー汁」のようなものでした。さらにお肉は“塊り”で入っているのではなく、その代わりに薄切り肉が、ビロ〜ンと入っていました。ですから、我が家のカレーはスプーンだけでは食べられない。必ずお箸も一緒に出てきていました。それがカレーと言うものだと、ズッと思っていたのですが、いやはや。

けれど、この時期、春のお彼岸時期になると、一番思い出す母の料理は、「ぼた餅」です。同じ料理でも、秋になれば「おはぎ」と変わるのは、子どもの頃から知っていました。しかし!今もその名前の由来が「花」からとは全く理解できません。


「ぼた餅」は「牡丹」から、「おはぎ」は「萩の花」から。いやいや、我が家のそれは、そんなに可憐ではなかった。なんせ巨大だったのですから。まさに「ボタ〜ン!餅」と言った感じ。一つで、もうお腹いっぱいになるような代物でした。

では、秋の「おはぎ」は?我が家では、これもそう呼びませんでした。「おはぎ」を二つに割ると、白いお餅が顔をのぞかせます。周りを餡子に囲まれる白いお餅。それがちょうど父の頭頂部分に見えたことから、そう「おはげ」!お父さん、今更ながらですが、ごめんなさい。いやはや。

しかし、こうした母の得意料理を思い出すたびに、合わせて家族の笑い顔を思い出します。
料理って、それも母の料理って、やっぱり凄いなぁと思わずにいられない今日この頃なのでした。

(By エッセイシスト・KUNI61)
更新日: 2017-04-28 10:20:09